今でこそ平日は退勤時間が待ち遠しく、休日は忍び寄る月曜日に怯えながら昼寝をしたがるサラリーマンなお父さんだけど、高校時代はゲームプログラマーになるのが夢だったのよね。
決して裕福とは言えない家庭に育ったけど、「何か面白そうなことができる気がする!」と感じ、勉強するから! お手伝いもします! いい子になります! ……などとアピールして親に無理矢理パソコン(当時は“マイコン”と呼ばれてたね)を買ってもらったのが中学3年生になる直前の3月、機種はPC-8001mkIIだった。
それからは眠る間も惜しんでパソコン雑誌の巻末にあったゲームプログラムを打ち込んでは遊び、それに飽き足らずオリジナルのゲームを考えてはプログラミングして雑誌に投稿、掲載料という貴重なお小遣いを調達する青春時代を過ごしてたね。
ちなみに初採用されたゲームはベーマガこと『マイコンBASICマガジン』の1983年10月号に掲載され、そのプログラムリストを中学校の文化祭で貼り出したのはいい思い出です。
なお下記のサイトで当時投稿していたゲームのタイトルと掲載号が確認できる。便利な世の中ね、インターネット社会って。
その後、投稿先を徳間書店インターメディアの『プログラムポシェット』や『テクノポリス』に移し、そこでの何度かの掲載がきっかけで編集の道を進み、アスキーの人気誌『ログイン』の“夢の超ライター募集”がきっかけで転職することが決まったはいいが徳間の山森氏にバレて「来週から来なくていいから」と言われ、慌てて田中パンチ氏に採用を早めてもらったり、まぁ、いろいろな記憶が蘇ってちょっと目に涙を溜めながら書いてますが、学生時代にプログラムに夢中になっていなければ合格していたお堅い公務員の道を捨てることもなかっただろうし、上京もせずに北の大地でそれなりに楽しげな人生を過ごしていたかもしれないので、ゲームプログラミングはオレの人生の大きなターニングポイントのひとつだったなぁ、と振り返るのです。
今ではせっかく紙版と電子版の両方で買ったUnityの猫本を読んでも全く理解できないほどの落ちぶれ具合ですけどね。ふんぬー。
『セブン・ビリオン・ヒューマンズ』はプログラムによって社員を動かし、与えられたミッションをクリアしていくゲームなんだけど、青春時代に夢中になったプログラミングの記憶を蘇らせてくれるのよ。
ステージで使用可能なコマンドを並べ、上から順に実行していくスタイルはScratchによく似た視覚的なわかりやすさがあり、Switch版ではタッチ操作やJoy-conをレーザーポインターのように使ってコマンド入力していく、そのハードならではの操作方法がコミカルで可愛いキャラクターと相まって、カタくて難解なイメージの“プログラム”に親近感を与える要素になっているのよね。
また、ただミッションをクリアーするだけでなく、“より速く処理する”とか“できるだけ少ないコマンド数でクリアーする”といった、プログラミング経験がある人の心に火をつけるやり込み要素があるのも素敵です。
なにより、プログラミング最大の魅力である“考えて組んだプログラムが思った通りに実行された瞬間の達成感”をお気軽に楽しめるのが素晴らしい。頭の中が痒くなるくらいアルゴリズムを考え抜いた末に導き出した解法が正しかった時の喜びは、小学校でもプログラミングの授業が始まったこれからの社会において、一度は体験しておいて損はないんじゃないかな、特に小学生のお子さんをお持ちのお父さんやお母さんは。
■セブン・ビリオン・ヒューマンズ
NintendoSwitch → リンク
steam(PC) → リンク
iOS(mobile) → リンク
最近ローラーを使ったりしながら腹筋を鍛える毎日だけど脂肪が燃焼されずに筋肉だけがついて胴回りが太くなってきた気がするよ!助けて!